【 JP 】 COVID19 ワクチン接種をおえて by Chiyoko またいとこのブログ (今月は不規則に発信) Blog de deux cousines, Chiyoko et Tomoko , Mataitokos' blog (Cousins' Blog) is published irregularly this month . 第 2 章2021 疫病は続く 6月の放談 2021.06.30 by C hiyoko COVID19 ワクチン接種をおえて 2021 年 6 月 17 日に第 2 回ワクチン接種 左接種前 右接種後 かかりつけクリニックにて 東京大阪では大会場のワクチン接種予約騒動 日本では、今ワクチン接種がすごい勢いで進められている。5 月にようやく 65 歳以上の高 齢者対象のワクチン接種が始まった。その時は、東京都大阪で大規模接種会場を設営し、年 配者はそこにたどり着くこともなかなか大変そうだったし、接種予約をどのような手段で 行うのかが話題になっていた。インターネットがつながらない、電話がつながらない、イン ターネットのやり方がよくわからない、などなど、団塊世代高齢者が一斉に予約目指して走 りだしたといった格好に見えた。もちろん、私自身もその一人であった。その時最初に思っ たことは、日本では多人数が一斉に同じことをし始めたら対応できるほどの情報流通容量 がないらしい、ということだった。かつて、世界一速いインターネットシステムを設けたと 総務省あたりで鼻高々であったことを思い出すが、それは利用者の人数という条件には触 れられていなかったことに改めて今回気が付いた。そのために、情報システム上の問題とい うか、情報容量の不足で電話は輻輳、インターネットも同様で、このシステムを利用しよう とする人は誰もが「門前払い」されたような苛立ちを感じさせられたようだった。 かかりつけ医のクリニックで個別接種 「ようだった」と他人事で記すのには、わけがある。我が家は大規模接種会場ではなく、 かかりつけ医のクリニックでの接種を受けたのである。かかりつけ医では、役所から配布さ れるクーポン券の配布を待たずに予約を受け付けてくれた。クーポンは、到着次第提出すれ ばよい、という便宜扱いだったから、なかなか
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【 JP 】 それでも開催?東京オリンピック by Chiyoko またいとこのブログ (今月は不規則に発信) Blog de deux cousines, Chiyoko et Tomoko , Mataitokos' blog (Cousins' Blog) is published irregularly this month . 第 2 章2021 疫病は続く 5月の放談 2021.05.16 by C hiyoko それでも開催?東京オリンピック 日本では今、Covid 19の変異株流行が激しい。全国9都道府県に緊急事態宣言が発出され、そのほかにもマンボウがじゃんじゃん発出中だ。それも、昨日の朝1時間かそこらの間に、政府が示した方針があっという間にマンボウから緊急事態宣言へ変更となったなど、その影響をもろにかぶらねばならない庶民は、びっくり仰天である。 こんな朝令暮改が行われると、もとよりあまり信頼されていない現政権に対する大方の視線はますます冷たくなってくるようだ。かく言う私も、その冷たい視線を向ける一人だ。現政権トップは、いつもおどおどしているように見える。だから、残念だけどこの人の言うことなら、ウソでも聞いておこう、従っていこう、とは思えない。視線をプロンプターやらメモやらの上に小刻みにちらつかせ、ちょっとでも批判的な質問がでると、あからさまに不機嫌な表情を見せる。時にはそれが昂じて「キレて」しまう。そういう時は凄みをきかせてしまうが、それは力づくで権力を振りかざしていることが明白になる。こうなると、ウチの首相って反社系かしらとあきれてしまう。その前の首相は息を吐くようにウソをつくという話だったし、その前がどうだったかというと、、、もう思い出せない。 2011年3月の、福島第一原発が爆発した直後、時の総理大臣菅直人が大変厳しい面持ちで記者会見で、「重大な事態になった」と国民に語り掛けた。その時、首相はメルトダウンが起きたとはつげなかった。しかし、テレビ画面から語り掛ける菅直人首相は、国全体の一大事が起きたことを私たちに語り告げ、危険と苦しみを分かち合おうとしたことが私には感じられた。首相なんだから逃げちゃえ、とかこの際だからどうやって自分のポケットを膨らませてようか、という考えを持ってはいなかったと私は
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【 JP 】 年賀状はもう出さない by Chiyoko またいとこのブログ (今月は不規則に発信) Blog de deux cousines, Chiyoko et Tomoko , Mataitokos' blog (Cousins' Blog) is published irregularly this month . 第 2 章2021 疫病は続く 4月の放談 年賀状はもう出さない 私の母と同年配の S さんが定年を迎えられたときに、さらっと「これからは年賀状を出すのはやめるの。静かに暮らしたいから」とおっしゃったのを聞いて、まだ不惑前だった私は結構驚いた記憶がある。もう 30 年以上前のことだ。 S さんは「人生楽しまなきゃ」といいつつ、それまでの非正規雇用の仕事が雇止めになりかけていた私をずいぶんと応援してくださった。房総半島の彼女の別荘に当時同僚だった M さんともども子連れで招かれ、子供たちが寝静まってから私たちは S さんからフラダンスのレッスンを受けた。教わったフラダンスをその後雇止めになった職場の送別会で踊ったのは、私だけでなく、周りの人々にも驚きだっただろうな。 以来幾星霜、近年お正月にいただく年賀状に、「年賀状は今年をもって終了します。」という趣旨の一文があるものが目に付きだした。「これ、サビシイ」という思いと共にかつて S さんが同じことをおっしゃったことが思い出されたものだ。そして、 2020 年のコロナ禍を経て 2021 年の年賀状の準備の時期が来た。 10 年くらい前からは、年賀状のあて名書きは筆ぐるめ、とか筆まめという名のソフトを導入し、これにお任せしている。ソフトは便利で、手書きでは数日を要したあて名書き作業はものの 30 分かそこらで終わってしまう。その結果、年賀状はとても形式的で人間味の薄いものになってしまった。これでは、年に一回だけの年賀状交換の意味って何だろうと気になりだし、 30 年以上も昔の S さんの「これからは年賀状を出すのはやめるの。静かに暮らしたいから」という言葉が私のことばになりだした。実際には、例年どおりの形式的な年賀状を準備して、走り書きの近況 1 行を添えて発送したのだけれども、どこか私自身が釈然としないままの越年となった。 そして 2021 年 3 月になっ
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【 JP 】 田舎の一人暮らしを決めた隣人とフランス職人の家具 by Tomoko またいとこのブログ (今月は不規則に発信) Blog de deux cousines, Chiyoko et Tomoko , Mataitokos' blog (Cousins' Blog) is published irregularly this month . 第 2 章2021 疫病は続く 4月の放談 田舎の一人暮らしを決めた隣人とフランス職人の家具 2021.04.06 by Tomoko Eさんの新たな出発 私の住んでいる村で親しくしていた隣人が、ブルゴーニュ地方にある一軒家を買い取り、引っ越して行った。近所づきあいとはむずかしいもので、家で自分のしたいことに没頭するたちの夫や私にとっては、煩わしいことも多い。 しかし、彼女のように、なかには程よい関係が心地よく思われる隣人もいる。離婚した Eさんにはスイスに住むやはり離婚している彼氏がいて、ときどき彼女のアパートに来たり、一緒に旅行したりしていた。 二人のなれそめは、彼女がジュネーブ駅の構内にあるパティスリーショップの店員で、 そこでは美味しいパンも売っているので、 スイス鉄道の電車の運転手だった彼が、よく立ち寄っていたことかららしい。駅という所は、こんな美しい出会いがあるところである。 Eさんの住んでいた二階にあるアパートの窓からは、 谷間状の野原が前面に広がり、 背景にはジュラ山脈が一望できる。Eさんは、定年になってから数年たつ今、この集合住宅を売り、集落の家に移った。 自然が大好きで、土いじりがどうしてもしたく、その夢をついに叶えた。女性一人の凄い迫力である。彼氏とも車で三時間くらいもかかる距離ができる。彼氏には100歳近いのに別に住んでいるパパがいて、面倒をみてあげなければならないから、近くにいてあげる必要がある。人生複雑である。 ちょっとした言葉を伝えるのが好きなEさんから、満足そうなメールや電話がかかってくる。集落は家が離れ離れではあるが、人びとの新参者への好奇心や関心が日々、伝わってくるらしい。 ブルゴーニュ地方のEさんの新しい巣 いつか読んだ宇野千代作『幸福』で、女が70過ぎてまだ家を建てている、と言われた話を思い出した。多才奔放で、 家を11軒立てた経歴を持つ 宇野千代
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【 JP 】 小圷のり子さんとの2回の邂逅 by Chiyoko またいとこのブログ (今月は不規則に発信) Blog de deux cousines, Chiyoko et Tomoko , Mataitokos' blog (Cousins' Blog) is published irregularly this month . 第 2 章2021 疫病は続く 3月の放談 小圷のり子さんとの2回の邂逅 2021.03.09 by Chiyoko 小圷のり子さん(以下のり子さん)とは、90年代からの知合いだ。アーカイブに関する研究会に、学校卒業したばかりの若々しいのり子さんはしばしば参加していた。はじめてお目にかかった時は、茨城県立歴史館の熱心な若手、と紹介され、ご挨拶した。私はそのころ研究会を設営する側にいたと記憶する。主催者側としては、若くて熱心な参加者が継続して会合に顔を見せてくれるのがとてもありがたかった。 時は流れ、私は会合の主催者の担当を終えた。そのためか、のり子さんと合うチャンスがほとんどなくなった。 そののり子さん、先ごろNHKニュースの画面に登場して、資料説明をされているのを、偶然見ることができた。 のり子さんをNHKニュースでお見かけしたのは、2回目である。 茨城県水戸市にある弘道館という資料保存機関の主任研究員、というのがニュース画面で確認した肩書だった。懐かしくて、早速メールを出したら、すぐに次のような返信があった。 「このたびは、とても嬉しいメールを賜りまして本当にありがとうございます。 お名前を拝見し、とても懐かしく、とても嬉しく、感激しております。おかげ様でずっと歴史の仕事に携わることができ、国特別史跡・重要文化財の弘道館の保存活用に努めております」。メールには2月17日付朝日新聞天声人語の切抜きが添付されていた。この記事、文中にのり子さんが紹介されている。スゴイ、すご~い!資料の保存活用のプロとして主要メディアに登場するのり子さん、私にはなんとも頼もしく、輝かしく、そのことがとても嬉しい。 思い返せば2016年の5月のある日、NHKのニュースを見るともなく眺めていたら、のり子さんが画面に登場した。この時ののり子さんは水戸の弘道館学芸員という肩書。嘗て、研究会に参加されていたころは、茨城県立歴史館の
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【JP】 #Morisign 森喜朗から橋本聖子へ by Chiyoko またいとこのブログ (今月は不規則に発信) Blog de deux cousines, Chiyoko et Tomoko , Mataitokos' blog (Cousins' Blog) is published irregularly this month . 第 2 章2021 疫病は続く 2月の放談 #Morisign 森喜朗から橋本聖子へ 2021.02.21 by Chiyoko JOC会長の森喜朗が、女性蔑視発言をした。それがもとで、森喜朗はJOC会長を辞任した。 その後任に橋本聖子参議院議員が選ばれた。橋本聖子は五輪担当大臣を辞任し、さらに自由民主党を離党した。 答弁する橋本聖子五輪大臣 森喜朗は最初、辞任しないと言っていた。その次に、川渕某に自分で話を付けて後を託すような口ぶりで、辞任すると言い出した。だが、森は正規の手続きを経ず、自分で川渕に話をつけていたらしいことが徐々に明るみに出て、結果ご破算となる。森喜朗は結局辞任記者会見で逆切れ、挙句は自分はいつも女性を持ち上げてきたつもりだなどと宣う。 一般論だが、日本人男性は女性に対して尊大であり、相手の男女別で明確に態度を変え、女性に対してはまともな返事をしないことが少なくない。私の同年代以上の年配の男どもの差別意識にはほとほとうんざり。森喜朗は、要するに「女性が入る会議は時間がかかる」という自分の発言のなにが問題なのか全く理解できてない爺様なのである。 後任となった橋本聖子氏について五輪メダリストだということぐらいしか私は知らない。だが、森喜朗騒動の数日後2月9日10日に続けて、国会予算委員会での橋本聖子の答弁をきき、私はこの人に好感を抱いた。 国会答弁の背景は、こうだ。森喜朗失言がきっかけとなり、東京オリンピックに登録していたボランティアが次々と辞退を申し出た。自民党の二階幹事長がこれを「いっときのことだ。またすぐアナはうまる、次が来る」みたいな発言をしたことを取り上げた立憲民主党の質問に対する橋本聖子五輪大臣の国会答弁、私の印象は「はなまる」。以下、毎日新聞2月10日付の記事を引用する。 「 東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言を受け、大会ボランティア
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【JP】 コロナ禍のもとで亡くなった三人の親愛なる人たち (2)彌永康夫さんの死と教育について by Tomoko またいとこのブログ (今月は不規則に発信) Blog de deux cousines, Tomoko et Chiyoko , Mataitokos' blog (Cousins' Blog) is published irregularly this month . 第 2 章2021 疫病は続く 2月の放談 コロナ禍のもとで亡くなった三人の親愛なる人たち (2)彌永康夫さんの死と教育について 2021.02.17 by Tomoko ■ 彌永康夫さん - 日本の文化・学術の発展に尽くしたフランス語学者 またいとこのブログをChiyokoさんと連携して発信しだしてから、およそ8か月が経つ。 彌永康夫さんが1月上旬に亡くなられたという知らせを、Chiyokoさんから頂いた。 Chiyokoさんと私の絆を結んでくださったのが、Chiyokoさんのいとこ、私にとってもまたいとこの一人、彌永康夫さんである。メールには康夫さんが亡くなられる前日、弟さんにあたる彌永信美さんが康夫さんの、「できることは全部したと思う、皆さんにありがとうと伝えて 」という言葉を聞いたのが親族の最後の別れであったと書かれてあった。素晴らしい。私も力のある限り、できることは全部して生きて行きたいと思う。 彌永康夫さんには、一度しかお目に掛かったことがない。お会いした時は東京のマンション形式のホームに一人で暮らしておられ、フランス文化論を含めた語学学習者の教育に終日尽くされていた。私の母は、学生時代、彌永家の隣に住み、いとこたちと親しくさせて頂いていたので、私たち子どもたちに、よく彌永家の親族の話がでてきた。彌永家の長男の数学者、昌吉さんには息子さんが三人おられ、健一さんがやはり数学者、二男の康夫さんがフランス語学者、三男の信美さんは宗教学者となった。 私のフランスとの縁から、康夫さんが晩年、通信講座で時事フランス語を教えておられることがわかり、受講する興味があったので、ある年の訪日中にお尋ねした次第であった。康夫さんはスタンダード時事仏和大辞典(大修館)をはじめ、フランス語学習書を多々執筆された。 現役の 1965年~2000年ころは、在日フ
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【JP】 コロナ禍のもとで亡くなった三人の親愛なる人たち by Tomoko (1)マリーの死 またいとこのブログ (日曜発信) Blog de deux cousines, Chiyoko et Tomoko , Mataitokos' blog (Cousins' Blog) is published every Sunday . 第 2 章2021 疫病は続く 1月の放談 コロナ禍のもとで亡くなった三人の親愛なる人たち (1)マリーの死 2021.01.31 by Tomoko ■ 人の生について 親しい人が亡くなると、その人たちの送った生について、つくづく考えてしまう。人の生はどうしてこうも違うのだろう。人はある星の下で、ある国で、ある両親から生まれ、ある環境に居合わせて生きている。生まれた環境や家庭が恵まれている場合もあれば、そうでない場合もあるが、どの両親から生まれるかは、自分が決めるわけではないから、宿命的なものである。人は生まれたときにすでにそれぞれ違った性格を備えている。それに加え、生後の環境が人格を形成していく。 ■ マリーの死 昨年 2020 年 3 月下旬、世界中でまだコロナ対策が右往左往していたころ、マリーは病院で亡くなった。パリのアパートで独り暮らしをしていた彼女は享年 50 歳。マリーに対する私の思いは複雑である。 確か 8 歳のころ、ヴァカンス中に祖父の運転する車の後ろの席に座っていたマリーは追突事故に会い、一週間ほど昏睡状態に陥っていたが、回復した。眼を悪くして、しばらく矯正用の黒い縁の眼鏡をかけていたのが印象にのこっている。闊達な魅力的な女の子だった。 それが、ティーンエイジャーになるころから、アルコールや喫煙からぬけだせなくなり、精神不安定になってしまった。麻薬もあったかも知れない。自動車事故の後遺症が関係しているかもわからない。青春時代は、医者だった父親が不治の病に罹り、家族が大きな犠牲を払ったとも言える。 マリーは 20 代でアフリカ人と結婚し、一男を設けたが、母親に養育能力がないと国に判断され、子供は他の家庭で養育された。その後離婚したが、お金は祖母から受けた遺産や国の手当てがあり、自立できる仕事に就くことができなくても 後見人に面倒をみてもらいながら暮らしていた。 我が家
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【JP】 アーカイブ資料整理と茶封筒 by Chiyoko またいとこのブログ (日曜発信) Blog de deux cousines, Chiyoko et Tomoko , Mataitokos' blog (Cousins' Blog) is published every Sunday . 第 2 章2021 疫病は続く 1月の放談 アーカイブ資料整理と茶封筒 昨年 10 月、米国の知人からメールが来た。内容は、日本の英字新聞の記事をみて、気になることがあった、この件について何かできないか、というもの。 【背景】 「アーカイブ」 友人も私も、専門とするのはアーカイブである。アーカイブとは、名詞なら「古くて、貴重な情報を包含する資料そのもの、及びそれら資料の保存を行う機関」、動詞としては「保存する」という動作のことである。 「アーカイブの評価」 資料そのものが貴重かどうかを決めるのがアーカイブの専門家の仕事、という考え方は、昨今日本でも浸透してきたように思う。だが、私はこの考え方に必ずしももろ手を挙げて賛同するわけではない。へそ曲がりといわれるかもしれないが、アーカイブ資料は、その資料から特定のテーマに関する情報を導き出すのに役立つものだろうと私は考えている。「特定のテーマ」が汎用性を帯びていればいるほど、保存されるアーカイブ資料の価値は相対的に高くなる。その逆に、ある特定のテーマが風変りであったり、一般的にはあまり認められないとすれば、そのアーカイブ資料の価値は相対的には低くなる。 「評価の多様性」 まぁ、例えは適切ではないかもしれないが、赤ワインの評価を考えてほしい。日本の 150 年前の社会では、赤ワインはヒトの生き血と見間違えられ、日本人はこれを飲む人々を恐れたとかいう笑えない逸話が残っている。これは、群馬県富岡市に今も残る富岡製糸場での逸話。指導的立場で来日したフランスの人々がワインを飲むという習慣に対し、当時の日本人が下した評価だった。今では日本でもボジョレヌーボー解禁日に人々がこぞってワインを飲むようになった。これは食文化とその知識が普及したことによると考えてよい。日本酒が海外でも普及してきているが、これも同じことだと思われる。 【アーカイブ資料の価値評価と整理業務】 話を元に戻そう。アーカイブ資
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【 JP/FR 】 コ ロナ禍のなかでの執筆 Écrire par temps de Covid 19 byTomoko またいとこのブログ (日曜発信) Blog de deux cousines, Chiyoko et Tomoko Mataitokos' blog (Cousins' Blog) is published every Sunday . 第 2 章 2021 疫病は続く 1月の放談 コ ロナ禍のなかでの執筆 2021.01.17 by Tomoko 2021 年 1 月も半ば過ぎた。暖冬の年が続いていたこの地域では、昨今雪がしきりに降っている。フランスは昨日から夜 18 時以降翌朝6時までは罰則付きの外出禁止令が全国に発出されている。日中の外出は、許されているものの、国境向こうのスイスも含め、レストランや喫茶店はもうずっと閉鎖されていて、2月半ばまで映画館、劇場、美術館なども閉鎖、うら寒い世の中になってしまった。人が触れ合う楽しい場がなくなってしまっているのは、何とも悲しい。 自己主張の強いフランス国民にいたっては、これは前代未聞の規律の強制である。 しかし、祖国追放感を、疫病を通してますます強くしている日本人の私にとっては、そういった権威による禁止令が自分の暮らしを変えたわけではない。フランス国の指令には一応従っているが、指令を絶対の正義とも思っていない。 ■コロナ禍のなかでの執筆 散歩は瞑想の時間 2020年6月から、Chiyokoさんとブログを定期的に発信するようになってから、毎週の自分の変化を記録する機会になり、このコロナ禍にあって、執筆という活動が自分の軸となっている。他人にとってはどうでもいいことかもしれないが、それでいい。 私には、執筆という行為自体にかける時間より、考えている時間がほとんどといってよい。雨でも雪でも風が吹いていても、毎日散歩に出て、考えながら歩く。すると時間がすぐ過ぎていき、気がつくと、Uターンの場所と決めている道の分かれ道にある大きな石に行き着き、それをタッチしてまた元に戻る。散歩は私にとっては瞑想の時間である。 昨日は途中で、子供たちがお互い小学校で一緒だった旧知のご夫婦と久しぶりにばったり出会った。「みんなお元気ですか」とか「まあ、Covid19とは共生するし