JP小圷のり子さんとの2回の邂逅 by Chiyokoまたいとこのブログ (今月は不規則に発信)Blog de deux cousines, Chiyoko et TomokoMataitokos' blog (Cousins' Blog) is published irregularly this month. 第 2 章2021 疫病は続く  3月の放談


小圷のり子さんとの2回の邂逅


2021.03.09 by Chiyoko

小圷のり子さん(以下のり子さん)とは、90年代からの知合いだ。アーカイブに関する研究会に、学校卒業したばかりの若々しいのり子さんはしばしば参加していた。はじめてお目にかかった時は、茨城県立歴史館の熱心な若手、と紹介され、ご挨拶した。私はそのころ研究会を設営する側にいたと記憶する。主催者側としては、若くて熱心な参加者が継続して会合に顔を見せてくれるのがとてもありがたかった。

時は流れ、私は会合の主催者の担当を終えた。そのためか、のり子さんと合うチャンスがほとんどなくなった。

そののり子さん、先ごろNHKニュースの画面に登場して、資料説明をされているのを、偶然見ることができた。のり子さんをNHKニュースでお見かけしたのは、2回目である。

茨城県水戸市にある弘道館という資料保存機関の主任研究員、というのがニュース画面で確認した肩書だった。懐かしくて、早速メールを出したら、すぐに次のような返信があった。

「このたびは、とても嬉しいメールを賜りまして本当にありがとうございます。

お名前を拝見し、とても懐かしく、とても嬉しく、感激しております。おかげ様でずっと歴史の仕事に携わることができ、国特別史跡・重要文化財の弘道館の保存活用に努めております」。メールには2月17日付朝日新聞天声人語の切抜きが添付されていた。この記事、文中にのり子さんが紹介されている。スゴイ、すご~い!資料の保存活用のプロとして主要メディアに登場するのり子さん、私にはなんとも頼もしく、輝かしく、そのことがとても嬉しい。

思い返せば2016年の5月のある日、NHKのニュースを見るともなく眺めていたら、のり子さんが画面に登場した。この時ののり子さんは水戸の弘道館学芸員という肩書。嘗て、研究会に参加されていたころは、茨城県立歴史館の方だった。そして、2016年にTV画面上で偶然出会ったのり子さんは、弘道館学芸員で、専門家らしく、自信にあふれた様子だった。のり子さんは弘道館で開催中の展示関し、簡潔な展示資料説明を聞いた。

その時も早速、のり子さんに連絡をしてみた。なぜかというと、私はのり子さんが学芸員として活躍していることをNHKニュースで把握できたことがとてもうれしかったからだ。正直なところ、茨城県立歴史館職員時代ののり子さんは控えめな印象を持っていただけに、ニュースに映し出された活躍ぶりは私には新鮮であり、頼もしく思われたのである。

その時のメール:「先ほど12時のNHKニュースで、お顔を拝見して、懐かしくてメールしています。かつて、研究会ではずいぶんお世話になった記憶があります。 本日、テレビ画面でお元気でご活躍のご様子を拝見し、とても意を強くしました。 どうぞこれからもさらにご発展ご活躍ください。」

日をおかずのり子さんから返事があった。「とても嬉しいメールをありがとうございます!お名前を拝見してとても感激しました。 私は、歴史館退職後、自治体史編纂にたずさわり、平成17年から弘道館で学芸員を務めさせていただいております。弘道館の仕事に就いて、あっという間に10年以上が経ちますが、その間、東日本大震災があり、被災と復旧をずっと弘道館と共に歩み、弘道館との絆はとても強く感じております。 歴史的建造物や史料を保存し、また活用にも携わる立場でございますが、私の根底には、全史料協の皆様の「史料保存への思い」への敬服があり、微力ではありますが、自分が今いる場所で、「史料保存への思い」を見習って参りたいと思っております。(中略)このたびは、本当に嬉しいメールをありがとうございました。」

あれから5年、2021年2月14日に再びのり子さんは同じNHKニュースの画面に登場した。今度は、弘道館の主任研究員として、新聞にも紹介されている。のり子さんの力量が周囲からも正しく認められていると思う。のり子さん、これからの、ますますのご活躍ご飛躍をとても楽しみにしております。(Chiyoko 20210309)


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