【JP】 #Morisign 森喜朗から橋本聖子へ by Chiyoko またいとこのブログ (今月は不規則に発信) Blog de deux cousines, Chiyoko et Tomoko , Mataitokos' blog (Cousins' Blog) is published irregularly this month . 第 2 章2021 疫病は続く 2月の放談 #Morisign 森喜朗から橋本聖子へ 2021.02.21 by Chiyoko JOC会長の森喜朗が、女性蔑視発言をした。それがもとで、森喜朗はJOC会長を辞任した。 その後任に橋本聖子参議院議員が選ばれた。橋本聖子は五輪担当大臣を辞任し、さらに自由民主党を離党した。 答弁する橋本聖子五輪大臣 森喜朗は最初、辞任しないと言っていた。その次に、川渕某に自分で話を付けて後を託すような口ぶりで、辞任すると言い出した。だが、森は正規の手続きを経ず、自分で川渕に話をつけていたらしいことが徐々に明るみに出て、結果ご破算となる。森喜朗は結局辞任記者会見で逆切れ、挙句は自分はいつも女性を持ち上げてきたつもりだなどと宣う。 一般論だが、日本人男性は女性に対して尊大であり、相手の男女別で明確に態度を変え、女性に対してはまともな返事をしないことが少なくない。私の同年代以上の年配の男どもの差別意識にはほとほとうんざり。森喜朗は、要するに「女性が入る会議は時間がかかる」という自分の発言のなにが問題なのか全く理解できてない爺様なのである。 後任となった橋本聖子氏について五輪メダリストだということぐらいしか私は知らない。だが、森喜朗騒動の数日後2月9日10日に続けて、国会予算委員会での橋本聖子の答弁をきき、私はこの人に好感を抱いた。 国会答弁の背景は、こうだ。森喜朗失言がきっかけとなり、東京オリンピックに登録していたボランティアが次々と辞退を申し出た。自民党の二階幹事長がこれを「いっときのことだ。またすぐアナはうまる、次が来る」みたいな発言をしたことを取り上げた立憲民主党の質問に対する橋本聖子五輪大臣の国会答弁、私の印象は「はなまる」。以下、毎日新聞2月10日付の記事を引用する。 「 東京オリンピック・パラリンピック組織委員...
投稿
2月 14, 2021の投稿を表示しています
- リンクを取得
- ×
- メール
- 他のアプリ
【JP】 コロナ禍のもとで亡くなった三人の親愛なる人たち (2)彌永康夫さんの死と教育について by Tomoko またいとこのブログ (今月は不規則に発信) Blog de deux cousines, Tomoko et Chiyoko , Mataitokos' blog (Cousins' Blog) is published irregularly this month . 第 2 章2021 疫病は続く 2月の放談 コロナ禍のもとで亡くなった三人の親愛なる人たち (2)彌永康夫さんの死と教育について 2021.02.17 by Tomoko ■ 彌永康夫さん - 日本の文化・学術の発展に尽くしたフランス語学者 またいとこのブログをChiyokoさんと連携して発信しだしてから、およそ8か月が経つ。 彌永康夫さんが1月上旬に亡くなられたという知らせを、Chiyokoさんから頂いた。 Chiyokoさんと私の絆を結んでくださったのが、Chiyokoさんのいとこ、私にとってもまたいとこの一人、彌永康夫さんである。メールには康夫さんが亡くなられる前日、弟さんにあたる彌永信美さんが康夫さんの、「できることは全部したと思う、皆さんにありがとうと伝えて 」という言葉を聞いたのが親族の最後の別れであったと書かれてあった。素晴らしい。私も力のある限り、できることは全部して生きて行きたいと思う。 彌永康夫さんには、一度しかお目に掛かったことがない。お会いした時は東京のマンション形式のホームに一人で暮らしておられ、フランス文化論を含めた語学学習者の教育に終日尽くされていた。私の母は、学生時代、彌永家の隣に住み、いとこたちと親しくさせて頂いていたので、私たち子どもたちに、よく彌永家の親族の話がでてきた。彌永家の長男の数学者、昌吉さんには息子さんが三人おられ、健一さんがやはり数学者、二男の康夫さんがフランス語学者、三男の信美さんは宗教学者となった。 私のフランスとの縁から、康夫さんが晩年、通信講座で時事フランス語を教えておられることがわかり、受講する興味があったので、ある年の訪日中にお尋ねした次第であった。康夫さんはスタンダード時事仏和大辞典(大修館)をはじめ...