JPそれでも開催?東京オリンピック by Chiyokoまたいとこのブログ (今月は不規則に発信)Blog de deux cousines, Chiyoko et TomokoMataitokos' blog (Cousins' Blog) is published irregularly this month. 第 2 章2021 疫病は続く  5月の放談


2021.05.16        by   Chiyoko


それでも開催?東京オリンピック


日本では今、Covid 19の変異株流行が激しい。全国9都道府県に緊急事態宣言が発出され、そのほかにもマンボウがじゃんじゃん発出中だ。それも、昨日の朝1時間かそこらの間に、政府が示した方針があっという間にマンボウから緊急事態宣言へ変更となったなど、その影響をもろにかぶらねばならない庶民は、びっくり仰天である。

こんな朝令暮改が行われると、もとよりあまり信頼されていない現政権に対する大方の視線はますます冷たくなってくるようだ。かく言う私も、その冷たい視線を向ける一人だ。現政権トップは、いつもおどおどしているように見える。だから、残念だけどこの人の言うことなら、ウソでも聞いておこう、従っていこう、とは思えない。視線をプロンプターやらメモやらの上に小刻みにちらつかせ、ちょっとでも批判的な質問がでると、あからさまに不機嫌な表情を見せる。時にはそれが昂じて「キレて」しまう。そういう時は凄みをきかせてしまうが、それは力づくで権力を振りかざしていることが明白になる。こうなると、ウチの首相って反社系かしらとあきれてしまう。その前の首相は息を吐くようにウソをつくという話だったし、その前がどうだったかというと、、、もう思い出せない。

2011年3月の、福島第一原発が爆発した直後、時の総理大臣菅直人が大変厳しい面持ちで記者会見で、「重大な事態になった」と国民に語り掛けた。その時、首相はメルトダウンが起きたとはつげなかった。しかし、テレビ画面から語り掛ける菅直人首相は、国全体の一大事が起きたことを私たちに語り告げ、危険と苦しみを分かち合おうとしたことが私には感じられた。首相なんだから逃げちゃえ、とかこの際だからどうやって自分のポケットを膨らませてようか、という考えを持ってはいなかったと私はその時菅首相を信じた。同じ菅の字の菅首相でも、10年前のカンと今日のスガでは、印象がこれほどに違う。

国民の安心・安全のため、オリパラの競技関係者の動線を完全に隔離する、という総理大臣の説明が聞こえたが、それをまともにとらえて同意する人などいただろうか。私たちの日常は、コロナの蔓延のために、生活のあらゆる場面が変化してしまった。マスクを着けていないと、街中では人々の視線が刺さる。私自身も無意識のうちに道行く車のナンバープレートがこの地域のものであるかどうかをチェックしている。不寛容な感性が自分の中にも広がっていることがわかる。困ったものだ。

家族によれば、私自身が今結構ココロが疲弊しているのだという。そのために周囲の動きや自分の考えがどれも後ろ向きになっていて、人生を楽しむという姿勢が足りないのだそうだ。そう言われてみれば、そうだろうな。朝目が覚めると、今日の課題はこれとこれ、などと一日の計画を考える、ということが減っている。毎日が繰り返しの中に流れて消えていくばかりだ。去年の今頃少し興味を持って本で読んだ、10世紀、14世紀、18世紀のヨーロッパを襲ったペスト大流行は、人々が死に絶えていく様子ばかりが描き出されていた。一家全員がなくなるのも珍しくはなかったようだ。亡くなった人を葬ることができる場合、できない場合があったとも記されていた。そうした時代、人々の暮らしと心持はどんな様子だったのだろうか。今日のロックダウンとかステイホームのような行動制限があったのだろうか?厳しい局面に身を置くとはじめて、過去の事例が具体的に気になる。そして、過去の状況に関して想いを巡らせると、実は私たちの周辺は、私たち自身が知らないことだらけだというこということに気付かされる。日本国内各地の緊急事態宣言は当分続くようだから、もう少し「勉強」をすすめたい。

  

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