【JP】終戦記念日vs. 対日戦勝記念日 by Chiyoko またいとこのブログ(日曜日ごとに発信 11月12月は特別にTomoko, Nikhil による文学の日英バイリンガル版も発信第 1 章 2020 疫病の年  11月の放談



終戦記念日vs. 対日戦勝記念日

靴を脱いだ10歳のハリー王子に教えられた戦争終結と降伏文書


by Chiyoko




ハリー&メガン『自由を求めて

Withコロナ時代?の昨今、これまでよりずっとたくさん、図書館を利用するだけでなく、結構本を買うようになった。先ごろ出版された、英国のハリー王子の『自由を求めて』も、アマゾンでポチって入手。当たり前だけどこの本は英語だ。手に取ってパラパラと開いて見た。


         ■写真ページがたくさんある

なんと、ありがたいことに写真ページが沢山あった。ヘンリーさんとメガンさんお二人が子供の頃のものから最近のものまで、写真ページは10ページ以上。しかも、短い説明がある。読めそうだな。軽い気持ちで見ていたら、ダイアナ妃と一緒のハリー王子の写真がある。おやおや、ハリーさんは靴を脱いでいる。







写真の説明から湧く疑問

説明には「母親や家族と共に対日戦勝記念パレードに参列するハリー王子、10歳、1995819日、ロンドンモール」とある。あれ、英国の戦勝記念日は819日なのか。日本では815日が終戦の日だ。どうしてちがうのかしら。


戦勝記念日は819?

日本では終戦記念日は815日、戦没者追悼記念式典が開催される。1945年のこの日、昭和天皇が玉音放送で終戦の詔を読み上げ、人々はこれを聞いて戦争が終わったことを知った。そんなシーンは今も繰り返しテレビ画面で流される。だから、私は815日が第2次世界大戦の終戦記念日であり、日本の敗戦の日であると思い込んでいた。だがハリーの写真の説明は、日程が違う。1995819日がパレードの日付だ。


英国には対日戦勝記念日がある!

もっと驚いたのは、対日戦勝記念日Victory over Japan Dayの存在、衝撃だった。確かに、日本が負けたのだから、相手国英国は戦争に勝利している。それは当たり前だ。その記念日が設けられていることも、当然だろう。そんな当たり前のことを思ってもみなかった自分の浅はかさに気付いた時はショックだった。戦争は敵と味方がいて、敵が負ければ味方は勝つ。日本が負けたから連合国は勝ったのだ。英国は連合国の一員、対日戦勝記念日があるのは当然である。嘗てマイケル・クック先生がブダペストのとある広場で、傍らの銅像を指してニタリ、「こいつはここでは英雄、イギリスでは匪賊だ」と言われたことを思い出した。


英国の対日戦勝記念日は815日ではない?

ところで日本では815日が終戦の日で、戦争に負けた日とされている。写真説明では英国の戦勝記念パレードは1995819日だ。なぜか。この疑問から、芋づる式にわいてきた疑問は、戦争の終結の日付はどのように決まるのか、戦争終結の手続きとか文書事務はどんなものかなど。815日と819日の違いをきっかけに、改めて自分が戦争、とりわけ第二次世界大戦に関しては殆ど知識がないことを再認識し、少しばかり勉強した。


戦争の終結はどう決まる?

疑問①2次世界大戦の終結は、どのように決まったのだろうか。

疑問②戦争終結には何らかの事務手続きがあったのだろうか。

角川日本史辞典には「太平洋戦争とは、第二次世界大戦のうち、アジアでの日本と米・英・中など連合国との戦争を指す。1940(昭和16) 128日~194592日」「815日終戦の詔書を放送し,92日降伏文書に調印して,戦争は終結した。」とある。日本の外務省外交史料館は平成27年、この降伏文書の展示を行った。そのポスターは現在もHPに掲示がある。米国NARAは連合国の代表として降伏文書のもう一部を保管し、当日の調印式の写真もみえた。キャプションには92日東京湾内停泊中のミズーリ号上、とある。降伏文書という正式記録には194592日が戦争終結の日だと記されている。

こうして確認した結果、国際条約においては、終戦は815日ではないと見える。それに、10歳のハリー王子が靴を脱いで列席した戦勝パレードの日付819日も、どこにもみあたらない。強いて言えば、ハリー王子10歳というキャプションの情報から撮影日付を1995819日と仮定すると、この日は土曜日でイベント向きだったかも。


■まとめ 2通の降伏文書の存在

戦争の終結は2通の降伏文書に戦勝者、敗戦者双方が調印(署名)したことで効力が生じる。それまでは、状況として負けたにしても、戦争状態が終結したことにはならないということだ。降伏文書は2通作成され、戦勝側、敗戦側がそれぞれ1通を保持し、その事実を共有する。日本の敗戦を証明するのは、この降伏文書である。その降伏文書は、2通ある。仮令一方が保管する一通が失われてももう一通の降伏文書は残る。戦争終結の記録は残り続ける仕組みに納得‼

https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000094983.pdf 外務省外交史料館 (20201031確認)


戦争終結の文書事務と保存業務は極めて常識的に遂行されているし、公文書館の存在が長期にわたり降伏文書保管を担当し、戦争終結の証拠を支えることも確か。公文書館、万歳!

(20201126 chiyoko 本稿は、DJIレポートNo.122既報分を一部加筆しました。)



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