【JP】日本学術会議問題 by Chiyoko またいとこのブログ(日曜日ごとに発信 11月12月は特別にTomoko, Nikhil による文学の日英バイリンガル版も発信)第 1 章 2020 疫病の年 11月の放談
日本学術会議問題
2020.11.15 by Chiyoko
■学術会議問題:105-6=99という政治的「削減」?
10月、日本学術会議のメンバー任命に総理大臣が横やりを入れたために、ようやく開かれた菅総理大臣の最初の国会ではこのことがもっぱらの話題であった。10月30日夜TBSニュース番組で片山善博氏が「補助金を少し削るようなつもりで106人から99人にしたのだろう」「政治の権限をふりまわしたために、こんなに大騒ぎになってしまった」「こんなことになるとは思わなかったんでしょうね」「想像力が足りない」などと舌鋒鋭く評していた。
■片山善博氏
北海道に通勤していたころに、勤務先の講演会で一度だけ、直接講演を拝聴したことがある。その時のお話では、氏の県知事時代、部下の説明を聞き、何やら質問した。そのとき、説明者の視線がふと泳いだのに気付いた氏はこれを見逃さず、説明内容にちょっとした瑕疵を見出した、というエピソードがあったと記憶する。主題は忘れたが、説明者の視線が宙を泳ぐ一瞬をとらえ突っ込む、という息をのむようなやりとりのお話には感服させられた。氏は、現在混乱中の菅政権学術会議問題について「説明できないものがある」と言った総理大臣の視線が宙を泳ぐさまをきっと見ておられたのではないか。
テレビで見えた氏は不合理への鋭い感性と、その不合理をあらわにした当事者たる総理大臣の人物像をどこか面白がっているようにすら見える度量の人と見えた。憲法15条を持ち出し総理側が学術会議会員の任命権を行使できるという総理の説明は、15条全体としては不成立であることは自明(だから、不勉強な側近に騙されたかな)という解説は、実に説得力に富んでいた。番組では総理大臣の肩を持つ役割らしいキャスター石塚が「学術会議は学者の集団で、右でも左でも学問の自由というとすぐにまとまってしまうから、始末が悪い」と発言し、結果として番組の品格を下げたようで、残念な印象。
■1959学術会議「公文書散逸防止」勧告は日本の公文書館設置の礎
ところで、日本の公文書館設置の礎は、1959年の日本学術会議勧告であることは、20世紀中は良く知られていた。往時日本学術会議とは日本の貧弱な公文書管理状況を指摘し政府に国立公文書館の設置を勧告した立役者であって、公文書館にとっては産みの親の組織だ。1959年、昭和34年という時期に早くも日本の政府部内の公文書が歴史公文書としての価値を持つ可能性を指摘し、学術研究の立場から対応を求めたその見識に、その後の日本の公文書管理がどれほど助けられたのかは、アーカイブの一端に連なるものとして、声を大にして指摘しておきたい。1959年11月、時の日本学術会議会長兼重寛九郎が総理大臣あてに提出した『公文書散逸防止について(勧告)』が、1971年の国立公文書館設立につながった。これがなければ、現代日本の情報公開制度、公文書管理制度の整備など、今日の政府情報の基本的な管理体制の整備は見通せなかっただろう。
■辻元議員、国会で質問!
11月4日国会で行われた質問では、公文書館設立に果たした学術会議の役割が取り上げられた。以下、FBから引用。
辻元委員「総理、諸外国にはあって日本にはなかった、つまり日本が遅れてたんですけど、国立公文書館、日本学術会議の提言に基づいて1971年に設置されたこと、ご存知でしたか?」菅首相「知りませんでした」辻元委員「日本学術会議の会員として任命を拒否された加藤陽子さん、極めてすぐれた歴史学者として政府の数々の諮問会議でお力をお借りしていて、現在も政府委員として任命されており、そのお力をお借りしていること、ご存知ですか?」菅首相「知りませんでした」(中略)辻元さん、グッジョブ!
■菅総理大臣の見識と度量
このような活動を行ってきた日本学術会議に「総合的俯瞰的に」政治介入するという現総理の見識は、誠に狭量かつ不遜である。加えて「説明できない」と発言するに至っては、日本国の総理大臣の器でないことを自ら認めたも同然、政治家として失格である。
(20201115 Chiyoko DJIレポートNo.122既報分改訂)
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