【JP】自由が侵されていく by Tomoko  またいとこのブログ(日曜日ごとに発信)第 1 章 2020 疫病の年  10月の放談

 自由が侵されていく!


           2020.10.11 by Tomoko  



■猫記Mitsu

千代子さんの猫記に続けて。

猫のいいところ、猫は自由であること。家の猫のMitsuは書き物をする私の膝の上
甘えに乗って来るが、最高の居心地をとことんみつけるためぐるぐる動き回る。
私とくっついているときは、枕となる手が必要となるので、私も書いている手を猫
の首の下においたまま、じっとしていなければならない。それもずっと続けるわけ
には行かないので、私は姿勢を変える。するとMitsuはいったん見つけた居心地が
求めた居心地とちがってくるので、またごそごそうごめくのだが、それも無駄と察
すると、もうここに居座る価値はないわ、という風をして、パッと飛び降り、他の
いい居心地を求めてどこかに消えてしまう。もう私の存在は見捨てられている。そ
うそうそれでいい。自由にしなさい。日当たりのいいところやふわふわした絨毯の
上に行きなさい。そういう所では、アナタは背中を擦り付けて体をくねらせ、実に
気持ちよさそうにしているじゃない…

さっきどこかに行ってしまったMitsuが、また戻って来た。




■日本学術会議の任命拒否の問題

最近、日本学術会議で推薦された学者6名が、説明もなく政府により任命を拒否

されたという事態は深刻である。任命に関していえば、憲法の天皇の項では、

天皇は国会の指令に基づいて内閣総理大臣を任命する、または、内閣の指令に

基づいて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する、という任命権がある、と定

められている。つまり、天皇は、いかなる内閣総理大臣をも(好みでないと思っ

ても)任命を拒否する権利などないのである。任命とは形式的、儀礼的行為な

のに、突然、総理大臣は任命拒否の権利を正当化しようとしている。



■肩書社会の日本

フランスでは、こんな事態はあり得ないと思う。学者や作家、芸術家の地位が

ずっと高い。彼らにはメディアでもずっと発言力があり、人々は耳を傾ける。

日本では、大学教授という肩書に対しては、人々は尊敬の念を抱くのかもしれ

ないが、学者の水準を、研究の深さでみようとしていない。専門家がしのぎ

を削って得た高い体系的知識を軽視し過ぎていることは、文化程度の低さと比

例する。何といっても、知性や人間性の感じられない政治家や経済界の大物と

言われる人たちが牛耳っている日本社会はほんとに魅力がない。


何のために勉強や学問をするのか。自分のためであるはずなのに、縦社会の日

本では、高等教育を受けるのは、卒業して社会的に有利な地立を得ることが目

的な人も多い。


総理大臣が苦労人という指摘は、縦社会のトップに立つ競争に勝つための手段

を尽くした苦労人としか思えない。勝つことが大切な故国を嘆かわしく思う。


みんな、もっと世界を美しいものにして欲しい。学門・芸術の発展こそ、それ

をしてくれるのに。


■自然科学の発展は何のために?

今の日本では、生産性があるとみなされた学問が賞賛されており、文学、法

律、歴史、宗教などの学問(=科学)は有用性がないと思われる風潮がある。自

然科学の分野の研究も、デジタル化技術の制覇を競っている。しかもデジタル

化は日本ではマイナンバーカードを徹底させ、人々のプライバシーをも監視す

ることが一番の目的であるように思われる。学問や研究が地球上の環境や気候

変動の問題を解決する、というような人類の死活にかかわる問題解決のために

奨励されていない。


■学術者の教養が国を左右する       

日本では、教育と教養がごっちゃになっている。政治家たちは一応大学級の教

を受けているかも知れないが、この人は教養がある人だと思われる人が少な

い。学者や芸術家は、国の文化程度と大きく関係することになるので、政治家

は謙遜に彼らの存在の意義を認識するべきである。


純粋に学問を極めた専門家の価値は、専門家同士にしか判断できないだろうか

ら、学術会議の中での推薦方式で会員が決まるのは当然ではないだろうか。日

本学術会議の決定を国の裁量で拒否するという、政治的判断はあきらかにおか

しい。


■学術ありの私のディレッタント生活

20代で日本から渡英して以来、私は何かと学問や芸術と関わる生活を続けてい

る。特定の分野の専門家や研究者になりたいという気持ちでやってきたのでは

なく、ひたすら、好事家(ディレッタント)として、芸術や学問を趣味や道楽

として愛好してきた。というと、何か高尚な人のような印象を与えるかもしれ

ないが、決してそうではなく、ある時、突然あることがやりたくなり、夢中に

なってしまうのだ。こういった気持ちは、いつも内部から促されて生まれてく

るのだ。


巡り巡って行き着いた、今夢中になっていることに、書くことと着物再生の衣

服づくり、ピアノがある。このことは欠かさず続けて生きていきたい。この三

つの趣味=道楽は今までの関わって来た学術の集大成であると言える。社会の

地位とまるで縁がないが、充足感がある。

          



外国にいるメリットは、日本では絶対ありえないような、凄い学者とか音楽家

とかに巡り合ったり、教わったりできることにもある。このことについては、

別の機会にブログに書いてみたいと思っている。






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