JP 酷暑の夏 三世代で過ごすひと時  by Chiyoko またいとこのブログ(日曜日ごとに発信) 第1章 2020疫病の年 8月の放談   

                  

 

        酷暑の夏 三世代で過ごすひと時

2020.08.22 by Chiyoko


■8月の家族行事

8月上旬は、孫とお嫁さんと夫の誕生日が目白押しで、家族行事が立て込みました。14日は夫の誕生日で、長男家族と一緒に海鮮BBQ、初めてウナギ蒲焼を炭火焼きにして食べました。なかなか美味。

サザエとか帆立は、海鮮BBQの主役です。海岸の町らしく、近くのスーパーに行けばいつでも手に入ります。湘南住まいのメリットです。三世代が揃って庭先でBBQは、老若男女五人がコンロを囲み、さほど密でもなく、外気浴みたいです。炭火を担当する長男には何かと忙しくさせてしまうけど、もしかして当人はこれも楽しみのうちかな。我ら年寄夫婦はドタッと座り込み、孫はちょっと興奮気味で、「帆立くださーい」などと叫んでいます。夕闇迫る中、少し涼しくなって、親子三代の団欒は佳境。

↑海鮮BBQの花形はサザエ!

三世代生活の思い出

三世代でこんな家族行事をすると、私は軽井沢の家で過ごした夏休みの日々を思い出します。軽井沢には昭和前期に祖父母が建てた別荘がありました。祖父は私が生まれる前に亡くなりましたが、祖母は100歳と、長命でした。私が結婚の挨拶に祖母を訪ねた時には、「離婚してはいけない。」と一言。最晩年まで口以外は悪いところもなく、健康に過ごしていたようです。

軽井沢の家には、毎夏祖母が滞在し、その間いとこたちと伯父伯母が代わる代わる集まりました。普段は核家族で暮らす伯父伯母いとこたち10数人をひとつ屋根の下に置いて、共同生活を取り仕切った祖母はなかなかの人物だったと、今私は祖母を高評価しています。




                                                                  ↑100歳の祖母19852

軽井沢での日々

軽井沢での日々は、大変に規則正しく構築されていました。朝はトーストパン、牛乳、果物。昼は目玉焼と味噌汁とご飯。夜は肉料理、但し金曜日は魚。新聞は信濃毎日。

お風呂は祖母が最初に入ることになっていました。毎朝6時ごろには、伯父の家から来ているお手伝いさんが廊下、階段、台所、食堂、サンルームを隅から隅までピカピカに掃除してくれました。二階には祖母の寝室の他、八畳の和室、木製寝台二台据え付けの寝室二室がありました。伯父叔母の各家族は、それぞれ一部屋ずつを割り当てられ、その部屋の掃除は伯父家族を除いて住人の担当。私の家族は階下の六畳でした。

祖母の寝室の寝台は金属製で、なんでもドイツが激しいインフレに襲われた時分に買ったものだと祖母からきかされました。

軽井沢の家の前で、家族写真。私の父は後列左端

親戚家族の序列

思い出すと、私が子供として過ごしたころの軽井沢の家では、すべてにおいて祖母が頂点に立っていました。父母世代はひとことでいうなら、祖母に傅いていました。祖母の意向には向かうところ敵なし。私は孫世代の中ではごく年少でした。そのためか、伯父のところのいとこたちに比べると、自分の意向を明確にしにくいと感じていました。そのため、親と祖母の力関係見ながら面倒なことにならぬよう振る舞っていました。その緊張感は、良くも悪くも私の子供時代の人格形成に大きな影響を与えたと感じます。私には、年長のいとこたちは皆、祖母にたいしてもっと屈託なく振る舞っているように見えました。

そしてあれから60年後の今、私は孫を交えた庭先BBQで三世代生活の真似事をしています。このBBQ団欒で孫が見せる対人関係の切り盛りを見るにつけ、あの私の軽井沢の日々の思い出と絡み合います。それは、楽しくも凄まじい血の繋がりの存在、過ぎた年月のことなど、気持ちを揺さぶられてしまう要素が沢山あります。敢えて当時と同じことを再現したいのかと問われれば、もちろんそれは違うと思います。でも、tomokoさんとのかかわりも含め、私が今ある人間関係の構築方法は、あのころの祖母を頂点とした整然とした階層構造が基本になっているのは、間違いありません。


今、軽井沢の家は登録文化財

ちなみに、軽井沢の家は、祖母の設計だと伝わります。子供の頃tomokoさんと私がたった一度出会ったのも、この軽井沢の家でした。軽井沢の家は今日もそのまま残ります。21世紀になってから、いとこの息子の尽力で、登録文化財に指定されました。私が最後に軽井沢の家を訪れたのは、1982年夏でしたから、もう40年近く昔のことです。それにしても、昨今たまにテレビなどで垣間見る軽井沢の町の様子からは、もはや往時を偲ぶことはとても無理。祖母を頂点とした親戚家族間の、見えないけれど厳然と整然と構成された人間関係も、過去のものになりました。

(この項終 20200821 chiyoko)





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