JPジュネーブで/ 身に降りかかる天災・人災  by Tomoko またいとこのブログ(日曜日ごとに発信)第1章 2020疫病の年 7月の放談



ジュネーブで思ったこと/価値観の違い

/身に降りかかる天災・人災など


2020.07.17  by Tomoko  


■7 月半ばのジュネーブで思ったことあれこれ 
今日フランス国境を越え、日本人音楽家の友人と久しぶりにジュネーブで会ってきました。 会った場所は市街地の中心デパートの前が大きな広場になっているところで、レストラン がテラスを一杯に広げています。Chiyoko さん達と毎夏行っている国連近くのプールサイ ドレストランよりちょっと都会的。いまごろになってバスやトラムなどの公共交通機関で マスク着用が義務付けられている現下ですが、室内よりはともかく外の方が安全だろうと いうことで、テラスにテーブルを取りました。

たまたまそのレストランはイタリアンだっ たのですが、メニューはおもにイタリア語で書いてあります。よほど観光客が多いのでし ょう。多国籍の外国人の入り混じった環境はジュネーブならではです。 テラスの周りを見ても、午後のひとときをのんびり過ごしているこれらの人たちは、ヴァ カンス中としか思われません。

ニュースで知る、コロナ禍にある戸惑いとは遠い風景に驚 きました。ヴァカンスを重んじるヨーロッパの余裕でしょうか。何と豊かな恵まれた国、と思わざるを得ません。

彼女との話の中心は、日本の今のガタガタの状況を憂うことに行き着くことも多かったで す。二人とも故国を去って 35 年以上が経つ身として、考えることに共通点がたくさんあ ります。日本から脱出したくて私たちは海外に出たのですが、最近日本に頻繁に帰る(彼女は行くと言う)ようになっています。それが、今は移動ができない状態なのです。 

こちらヨーロッパでは音楽家であろうと、ヴァカンス中はヴァカンスを楽しんでいる人が 多いという話を聞いて、日本の音楽専門家のしのぎを削った研磨ぶりを普通だとみてきた私は、びっくりしました。しかし、結果的に見ると、ただがむしゃらにピ アノに向かっていても音楽的ないい演奏ができるようになるとは限りません。既成のやり方を取り外し、頭と体は繋がっていることを意識すれば、何事も効果的に行 うことができると思うのですが、日本のやり方は、トップダウン形式で、言われたことを できるように、ひたすら努力することが求められ、自ら従うというやり方です。 トップ ダウンの方式は、日本では至る所で使われる手法ですね。 

■価値観の違い 
西洋文化と日本文化を比較するとき、私たちには日本にいたころの若い時期の日本人の価値観が身に沁みついているので、今の時代を背負う若い人たちとは感覚が違います。とは いえ、たとえば自分の子供たちを教育するとき、自分の価値観を押し付けることはできません。そ れぞれの人格を最大限尊重するのが一番、とこの頃つくづく思うようになったので、自分 の孫たちにもこうしろああしろとは言わず、やりたい気が起こった時に思い切りやりたい ようにやらせる方が良く成長すると確信しています。ただし、彼らも他人に対して、同じ ことが可能になるよう、我慢することも学ばなければなりません。 

価値観の違いということは、天災・人災の問題にも大きく関わっています。コロナ禍をと ってみても、文化や習慣、物事に対する態度の違いが災害の度合いに反映します。コロナ の感染数が日本で極端に低いのも、日本人が似たような病気の免疫を持っているのかも知れない という事実を離れて、たとえば、清潔好きで手洗いやうがい、お風呂も頻繁に入る、キス やハグの習慣がなく、触れ合うことがない潔癖なところも影響していると思います。

■食習慣の大切さ 
日本食品の新しいお店の前を通りがかったので、寄って見ました。デパートの裏にあり、 アクセスしやすい場所で、きれいに並べられた製品はかなり高級感が感じられます。お店 を出る頃にはソーシャルディスタンスが守られることなく、人が多く入っていました。ジ ュネーブでは、日本食は近年ますます人気です。


         食文化を継承する町家カフェの例 もちなが邸
(宮崎県都城市)

健康的な食べ物は、人を繋ぐほんとうに 大きな要素だと言えます。日本食は発酵食も豊富で、免疫を作るのに役立つ。昔ながらの 玄米・一汁一菜、の食事が結局一番健康的なのではないかとか、日本食の効用をヨーロッ パの人びとにも伝えたい。フクシマの原発事故も、地震や津波による天災が、危険な核エネルギーを使用した原子力発電に頼ることにより起こった人災ですが、日本の伝統食は放射能から身を守ってくれる誇るべき食文化です。 

■生きづらい国 
日本とフランスではどちらが暮らしやすいか。好き嫌いの問題ではなく、率直に言って、 私にはフランスの方が暮らしやすい。より自然に生きることができ、平穏感があります。 日本での自粛とか村八分とかは、制裁を受けているようで怖いです。そして何といっても、不正や嘘が蔓延し、それを誰も止めることができない ような社会の国は生きづらい。

天災・人災の原因を追究し、どうすれば少しでもそれらを制御できるかを考えなければ、 災害が起こったあとで、いくら良い対策を打ち出しても、また災害は起こります。コロナ の問題は、正しい数値を出したり、ワクチンを発明することだけでは解決できません。も ともとウィルスは、人間社会が過疎的な環境から都市化したため、人間に居心地の良さを 求めてきたのですから、文明の引き起こした人災と言えます。

■では自分ができることは何なのか 
コロナによる分断で、日本が遠くなった分、かえって日本の文化、習慣、制度、国民性が より深く見えてきて、私は何ができるのかがだんだん明確になって来ました。要するに、 国とか政治とかを批判するのには疲弊し、まずは自分ができることをやって行くしかない と悟ったということです。

誰にでもできることとは、ひとりひとりが簡素化した暮らし方 を見つけるということではないでしょうか。自由競争はいいのですが、それが極端になり、 今資本主義は貧富の格差を生み出し、行き詰っています。消費主義をやめ、新自由主義と いった、あらゆる人に必要不可欠な水、エネルギー源、郵便、などが民営化、私物化できるというような考えをな くし、それらを確実に公共資本とすることが必要ではないでしょうか。 

立場や環境を考慮すると、私の場合、まず今自分の身の回りに起こったことを少しでも書き留め、 後世に残すことが役に立つのではないかと思っています。一介の人間の失敗や不幸を含め た記録を残し、自分の行動や人間関係、考え方がのちのち、歴史の教訓の一部になれれば と願っています。

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