JP身に降りかかる天災・人災/自分史的に環境問題を振り返る  by Tomoko/Chiyoko またいとこのブログ(日曜日ごとに発信)第1章 2020疫病の年 7月の放談




身に降りかかる天災・人災

2020.07.09  by Tomoko  


政治により人びとの暮らしは変わるのか

75日の東京都知事選が終わり、予想通りの結果に暗澹たる思いがしています。先回の公約7つのうち1つしか実現しなかったような人がなぜ圧勝し、再選されるのか。国民の暮らしに大きく関わっている政治の世界の、いつもながらの多数派による少数派へのやり込めには、いろいろな不健康な力が働いていますね。選ばれた人の決断に支配されるのも嫌ですが、選ぶ方にも同じく責任があります。政治というものだけに頼ったり批判したりしていても、世の中の問題がなかなか解決に向かって来ないことが実証されました。

歯止めがきかなくなった地球の環境破壊

今月の放談のタイトルとした、身に降りかかる天災・人災。この問題を国の政策だけで解決することはできません。そして、誰でも自分が災難に会って初めてその苦しみや困難を乗り越えることの容易くないことが分かるのだと思います。今日本を襲っている急激な豪雨により、熊本では河が氾濫して洪水が起こり、死者が50人も出ました。この数は、日本におけるコロナによる死者数が世界的に見れば断然少ないことを鑑みると、被害は甚大と言えます。一体、コロナが万人を襲う可能性があるのに比べ、自然被害は地域的に襲ってきます。でも、今回の豪雨は毎年梅雨の季節を迎える日本においての異常気象と言えます。地球の温暖化も関係していると考えられます。コロナでは皆が大騒ぎしても、近年の世界各地の異常気象により起こる被害は、当事者だけの悲劇で終わってしまいがちです。しかし今や、環境破壊の問題は歯止めがとまらなくなるほどで、地球規模でコントロールしなければ、我が身に危険の降りかかる可能性がますます高くなっています。

                人吉市球磨川が氾濫。80人以上の死者を出す。

我が家に降りかかった人災

自分ごとの人災の話です。今フランス国境の我が家に隣接して、3x4メートルもある電気の変圧小屋を建てることを、前村長が許可して決めてしまった。隣家と我が家の一帯は、古い家や木々が村の遺産に指定されており、私たち家族はそのことを大事に思い、昔から残っているものは壊さないよう護って来ました。ところが新参者の隣人は、買った自分の建物を細切れにし、たくさんアパルトマンを作り、高値で売ろうとしています。フランスでは家の改修をするとき、役場に届けなくてはならない義務があります。18世紀後半建立の我が家でも、窓をドアにするとか、後付けの物置を撤廃するとか、いちいち村に届けました。今度の係争には弁護士を雇い、村役場の不正とも闘うことになり、エネルギーを消耗すること大です。変圧所の設置は電波(5G)、火災、落雷、騒音、高圧などの害があり、安全や健康に及ぼす危険はどうしても避けたいです。しかし、普通には絶対安全と言われるのです。でもフクシマの原発事故だって、絶対安全と国が太鼓判を押していたのに、事故が起こったではないですか。被害者は一生を台無しにされているのに、自己責任とはひどすぎる。


アマゾンの熱帯林を想起

南米アマゾンで新参者が先住民族の伝統的な暮らしに敬意を払わず、大規模な農業開発のため木を伐採した結果、二酸化炭素の地球規模の吸収源となっていた森が破壊されてしまった。森にすむ動物や植物の生態系が崩れることの危険を、世界中の人は自分の命にも関わる問題と考えているだろうか。

富裕層はますます富を増やすため、すでに住んでいる人の居住権や土地の利用権を奪う。自然との共生など、お金にならない考え方はいつも少数派の考え方です。日本でも、フランスでも大土建会社は地域の政治家と結びつき、利権を獲得していきます。スイス・フランス国境は近年、アパルトマンや建売住宅がみるみると建設されてきていて、遠くにアルプス山脈の雪山を、背後にジュラ山脈の四季の変化の恵みを味わえる自然環境が、じわりじわりと壊されていっています。建てられた家に使われる材料は安普請のもの。先に述べた近隣の街、フェルネー・ヴォルテールのショッピングモールの建設予定も、文化的な小都市を時代に迎合した消費主義・合理主義の街に変えようとしている例です。

環境問題の改善こそが優先問題

コロナ禍を通してつくづく思ったことが、人の暮らしにとり、物質の豊かさを追う経済発展が人類の豊かさには繋がらないということです。すでにあるものを生かして、作り変えて再び使う。再生には想像力も必要となるから、頭も使うし、人間の能力を衰えさせなくなる。こういったエコロジカル、かつエシカル(倫理的)な考えに向かうことが今人類が進むべき優先順位と確信します。そのことはまず、環境破壊・気候異変の深刻な事態を一刻も早く改善することを意味します。


自分史的に環境問題を振り返る

2020.07.12    by Chiyoko   


■環境への思い

Tomokoさんの環境問題の改善こそが優先問題と言う小見出しを受けて、いろいろ思い出しました。そこで、今回は私がこれまで感じてきた環境への思いを、自分史的に書いてみます。

■私が子どもだったころ

まずは私が子供だった、古き良き時代のことです。名古屋の山手通2-14と言う場所で一年半ほどを過ごしました。そこは周辺には人家もない、原野丘陵地の中の戸数15ばかりの小さな集落でした。山の向こうには牧場があり、集落の周りの原っぱでは野生のすみれが咲き、ひばりのさえずりを聞き、道端のクローバーの花やカラスノエンドウの実を摘み、田んぼのそばでは蛙の大合唱を聞きました。ちなみにこの場所、今は街中の盛り場になっています。写真の赤いピンが山手通2-14だとのこと。もう、あの原野丘陵地はありません。

■成長期、青年期

その後、昭和30年代初期に開発された団地に移り住み、高校卒業まではそこで過ごしました。その間、伊勢湾台風を経験し、大学生になって東京暮らしになってからは大学紛争に遭遇、卒業後就職したら給料は毎年ベースアップ1万位の好景気で私自身もホクホクでした。田中角栄の日本列島改造論とかで、日本の国土からはどんどん緑地が消えて建物がどんどん出現しました。千葉県の木更津近隣をドライブしていた時、そこら中が開発という名目で赤土だらけになっているのを見て、何かが失われていると不安を抱きました。大学生が終わるころには四日市の大気汚染公害が社会問題になりました。最初の職場の時、ドル円相場が1週間閉鎖となり、二つ目の職場にいた時、オイルショックでトイレットペーパーが売り切れました。あれは、なんだったんだろう。自分が毎日を過ごしていくことで精いっぱいの時期だったと思います。

■子育て期とチェルノブイリ原発事故

その後21世紀に至るまで環境に気持ちを向ける余裕はありませんでした。唯一チェルノブイリ原発事故は例外でした。なぜかというと、それまではいつもスーパーで買っていた、お気に入りのブルガリア産杏ジャムが突然店頭から消えてそれっきりになったから。そのときはしみじみ不安になり、地上から安全な環境が失われたと体感させられました。

■21世紀、自分の仕事と環境問題

21世紀になると、私の仕事(アーカイブ、記録管理、電子記録の長期保存)で環境問題が絡んでくるようになりました。原発の情報公開とか、高レベル放射性廃棄物処理と情報伝達など、政治につながるテーマが、向こうからやってきたのです。こうした関わりから、原発という存在の絶対的危険性をイヤでも思い知らされました。これはいずれちゃんと説明するつもり。

■今思うこと

今、アメリカやブラジルで、コロナ蔓延をよそに政治家主導で経済優先を図る傾向がみられます。その方法がいま、少しずつ馬脚を表しはじめていると感じます。

自然環境のことを考えると、これも同じような傾向が見え隠れしています。環境保全やリスク管理そっちのけで経済発展を目指す土地開発事業―Tomokoさんが取り組まれているフランスでの環境保全と土地住宅開発とのせめぎあいも、いずれ何らかの災害の発生で馬脚を表すかもしれません。日本のここ数年の豪雨災害では、そうしたケースがしばしば見られます。例えば広島市安佐南区の土石流災害や、長野県松本市の牛伏寺断層帯の地滑り災害は、向こう見ずな土地開発が原因のようです。

今、目先の経済発展に目が眩んだ人たちは、社会的地位を経済=カネの力で手に入れていると感じます。幾重にも重なるこうした人たちの強欲な謀は、私たちが接する現実世界に対する社会的政治的地位や影響力となって、現在を翻弄しています。この点はスウェーデンのグレタ・エルンマン・トゥーンベリが主張するところに合致すると思います。そして、私は現状に対しかなり絶望感が強い。いつまで生き延びられるのだろうか?最近しばしば、そう思います。

今回はここまで


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